丹波竜の里里の見どころ

里の見どころ

上久下にはたくさんの名所や見どころがあります。地域ではこれらの宝物を大切に守っています。


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1.木の中地蔵(地蔵尊) 〔阿草〕

01_木の中地蔵

江州(滋賀県)木下(きのもと)地蔵、但州(但馬)城崎木の上地蔵と、一本の木からつくられた三体の地蔵尊のひとつで、元禄8年の創建です。この地蔵は安産、安全を守ると言われています。

2.銀山跡(銅山の廃坑) 〔阿草〕

02_銀山あと

篠山市に通じる県道わきにあります。かつては銅が産出されていました。現在は道路の拡張で坑口が小さく当時の面影は見られません。 山中の「かなやま」と呼ばれる銅山廃坑は、掘り始めは不明ですが、豊臣の末期から慶長年間、 今から400年前にはすでに採掘されていたことが知られています。元禄11年春に銀山として再採掘が始まったことも 文献に記されていますが、文久年間(1861〜1864)に廃鉱になっています。

3.広田のつり橋と、とめ地蔵 〔阿草・下滝間〕

03_広田のつり橋

JR下滝駅にほど近い場所にあるつり橋。橋の上からのながめは、まさに絶景です。

昭和6年に完成したもので、長さ65m、幅2mの丹波地方では当時としては唯一のつり橋でした。 当時の総工費は3千円。つり橋ができるまでは、現在の橋から10m下に降り、幅80センチの手すりの ない橋を渡っていました。

つり橋の下に「とめ地蔵」が安置されています。丸太橋を渡る途中で川に転落して死亡することが多かったので、 地蔵を安置して安全を祈り転落を止めることを祈願して「とめ」とつけられたと言われています。

4.熊野神社 〔阿草〕

04_熊野神社

阿草集落の氏神で、熊野三神が祀られています。社殿は延享2年(1745)の建立です。当時は神宮寺といわれ永禄2年(1559)に創建されましたが、明治の神仏分離令により廃寺となり、現在は神社の下に地蔵尊が祀られています。その本尊が木造丈六の「木の中地蔵」です。

扁額や懸仏も残っています。 懸仏は御正体とも言われ、壁等にかけて礼拝されたものです。

5.山中岩大師 〔阿草〕

05_山中岩大師

旧京街道にあり、当時の人々の往来から旅人が足の無事を祈願したといわれています。

6.川代公園、キャンプ場とつり橋 〔阿草・上滝〕

06_川代公園とつり橋

この景勝の地は古代から川代(かわしろ)と呼ばれています。つり橋は自然美に人工美を調和させ、「美しい村づくり事業」で造られたもので、 県道から公園へと清流、奇岩の上をまたぎ、長さ90m、幅1.5mあります。

左岸の公園の面積は3,500平方メートル、うちキャンプ場は1,500平方メートルの広さがあります。春は桜、夏はキャンプ、 秋は紅葉、冬は雪景色と、一年中を通じて人々の潤いの場となっています。

※ キャンプ場の使用には、事前申し込みが必要です。 >丹波市観光協会

7.川代渓谷 〔上滝〕

07_川代渓谷

加古川の上流篠山川が篠山盆地に向かって切り込むように発達したものです。東西4キロメートルのこの渓谷は、 河岸段丘や段丘堆積物もありません。

かつて、篠山盆地の水は武庫川に流れており、現在の川代渓谷は加古川の支流のひとつの谷にすぎなかったと 考えられています。約2万年前に篠山盆地の堆積作用で武庫川の上昇や、寒冷による土砂生産が多くなった等の原因で、 武庫川川床が高くなって、こちら側に流れが変わったと考えられています。

8.説宗寺(龍魂寺)〔上滝〕

08_説宗寺

恐竜化石の発見直前、境内から竜の形をした石が見つかっています。

平成18年に薬師堂改築記念に檀家から寄贈された木の植樹で境内を掘削中にこの石が発見されました。 ところが、翌月に「篠山川川床から恐竜化石発見」と報道され、発見を予告した霊験あらたかな石として、 その後信仰を集めています。「安住の地」をと檀家有志が浄財を出し合い台座を寄進しました。台座は白御影石製です。

9.文学碑「伊藤東涯」の碑 〔上滝〕

09_文学碑

1721年に伊藤東涯が川代を訪れた時に詠んだ景勝の歌が碑に刻まれています。

東涯は寛文10年(1670)京都堀川で生まれ、幼児より家学を受けて学問に優れ、堀川の首尾蔵といわれました。 「人の長短は見難く 己の是非は知り難し」と説論されています。

10.丹波竜発見地 〔上滝〕

10_化石発見地

平成18年8月7日に1億3千万年前の地層から大型草食恐竜の化石が発見されました。発見者によって「丹波竜」(愛称)と命名されました。1次・2次発掘によって多数の化石が産出されていますが、全身骨格が出土すれば世界的な発見となります。

11.蛭子神社 〔上滝〕

11_蛭子神社

西宮えびすの分霊が祭祀され、上久下地区唯一のえびす神社として、毎年1月10日の例祭には上久下地区の各地よりお参りがあります。

12.ヨウメイ塚(古墳) 〔上滝〕

12_ヨウメイ塚

円墳、横穴式石室、径10m、高さ3m、明治37年発掘されました。石槨の石は大方散逸しています。この古墳からは直刀一振り(長さ1.36m、重さ1.15キログラム)が出土しました。明治32年頃、阪鶴鉄道敷設のときに軌道の盛土に採取されてしまいましたが、現在でも前方後円墳の一部が残っています。

13.上久下村営発電所跡(有形文化財) 〔上滝〕

13_発電所

大正10年頃は上久下地区に電灯はついていませんでした。大河から電灯線を引くのに当時の金で2万円もいることで断念し、村で村営発電所を設けることにしました。これは一大事業で村有財産を売りつくしての必死の大英断のもとに遂行されました。

文明の光はこの山村には世紀の夜明けにも匹敵するものでした。しかし時代の変遷により、昭和18年関西配電(株)に売却することとなり、20年の命でした。その後、関西電力(株)に継がれて、昭和38年まで発電されていました。

14.山口神社の千年杉 〔上滝〕

14_千年杉

山口神社境内にあり、根回り12m、目通り幹回り7.1m、高さ35mで市内第一の巨杉です。丹波市指定の天然記念物になっています。

15.山口神社 〔上滝〕

15_山口神社

上滝集落の氏神で祭神は一言主神です。かつては2月25日のお当まつりにおいて的を立て、矢48本を3回射て邪気を祓い、稲の豊凶を占う「お弓神事」が行われていましたが、現在は10月の祭礼で行われています。日本書紀雄略天皇4年(460)の頃、天皇が狩の時突然「長き人」に出会われ、天皇が「いずれの人か」と問われると長き人は「我は悪事も一言、善事も一言にて言い放つ葛城一言主神」と答えられたそうです。

16.恐竜モニュメント 〔下滝〕

16_JRモニュメント

丹波竜発見を記念して、平成19年11月に建立されました。JR下滝駅の前に親子で仲良く立っています。この像は市内の業者から寄贈されたものですが、モニュメントは絵本作家の村上祐喜子さんのデザインです。

17.青田奉納神楽舞(伝統芸能) 〔青田〕

17_青田神楽

享保年間(約280年前)にはすでに行われていた記録があります。氏子の安寧と五穀豊穣を祈って毎年10月、大歳(おおとし)神社の秋まつりに奉納されています。

道具は獅子頭・天狗の面・神楽笛・太鼓で、地方が囃(はやし)を奏し、舞の種類は「四方舞・剣の舞・花獅子・鈴の舞・背継」の6種類があります。「背継」は子供が大人の肩に乗り獅子舞をするきわめてスリリングな舞です。

18.座禅石公園(座禅石) 〔青田〕

18_座禅石

足利三代将軍義満の重臣であった細川頼之公の養子頼元公から、丹波の国にお寺を建立するようにと伝えられた特峯禅師が、適地を求めて初原の谷においでになり、この奇岩の上に座禅を組み場所選定を思案されたと伝えられています。

19.白鹿神社 〔太田〕

19_白鹿神社

延享3年(1746)のある春の日、右脚に傷をおった美しい白い鹿が太田の里に下り、川に落ちて流され、 助けた村人の手厚い介護もむなしく死んでしまいました。時の柏原藩主織田公からはお供え物を賜わり、 吉祥として白鹿をねんごろに葬れとのお言葉があったそうです。

村人は瑞鹿(しろしか)神社として祀り、以来足の病に霊験あらたかといわれ、お祭には沢山の参拝者が訪れます。

20.慧日寺(えにちじ:臨済宗) 〔太田〕

20_慧日寺

足利幕府三代将軍義満の管領であった細川頼之によって永和元年(1375)に創建されました。特峯禅師が開山された寺です。 惣門・山門・仏殿・方丈・書院・僧堂宇が立ち並んでおり妙心寺派の中本山として丹波禅寺の名刹でしたが、 天正3年(1575)明智光秀の丹波攻めの余波を受け全山焼失しました。寛文7年(1677)に再び火災にあい、 現在の方丈、鐘楼等は翌年から再建されました。仏殿は元禄15年(1702)に禅宗様式で再建されました。

21.八百姫髪塔脱離墳(八百姫塚) 〔太田〕

21_八百姫塚

若狭小浜に高橋長者の娘、八百姫がおり、幼いときに人魚の肉を食べて以来、年老いぬまま若さを保ち八百歳で太田の地で亡くなったと伝えられています。

その昔八百姫は中国や印度で厳しい修行を行い、その後丹波慧日寺の特峯禅師を訪ねてきました。問答のすえ、 自らの悟りが浅く本当の悟りではないと気づいて、特峯禅師の弟子となりました。死後、和尚は得度で落とした黒髪をこの地に埋めました。

この碑は、美麗、不老長寿、心願成就の八百姫大明神として人々の信仰を集めています。

22.篠場の石堂五輪塔 〔篠場〕

22_五輪塔

平成6年12月16日に市指定の文化財になっています。集落内の人々により供養維持されていますが、銘文や記録類が 残存しないため由緒伝来は不明です。建立は室町時代中期以降と推定されています。

毎年6月の第1週の日曜日に篠場地区では五輪塔祭りが開催されます。その年の豊作を祈る行事です。

23.桧皮(ひわだ)の里会館 〔篠場〕

23_桧皮の里会館

桧皮の里会館(ふるさと文化財の森センター)は篠場集落の中ほどに位置しています。

上久下地区は古来から桧皮葺伝統工芸の発祥の地で、多くの技術者が活躍しています。阿草熊野神社の棟札には、 安永6年(1777)に桧皮屋根葺き替えの記録が残っています。また、上滝在住の原皮師によるお講があったことが 安政2年(1855)「桧皮戒講当文帳」として残っています。今より200年前には農業の副業として最適と考え、 京都で修行し技術の導入を図ったものと考えられています。

24.ポットホール 〔篠場〕

24_ポットホール

岩のすき間に小石が入り、水流によって小石が回りながら長い年月の間に岩石を削ってできた奇岩です。篠山川で、 篠場川との合流付近から下流の右岸に多く見られます。昔の人は亀が巣をつくり卵を産むところと考えて「亀穴」と呼んだようです。

ポットホールは川の三大作用の浸食作用です。川代渓谷のいたるところで見つかりますが、篠場集落付近が一番分かりやすいようです。川代渓谷がいかに急流であるかの証拠です。

川原には近づきにくいところが多いですが、篠場川ぞいの小道に沿っておりることができます。

25.高い場霊場 〔畑内〕

25_高い場霊場

常徳寺から裏山を登ると古びた御堂があります。左側には崖を深く掘りこんだ洞穴の中に、弘法大師の作と伝えられる千手観音の像が 安置されています。常徳寺の裏山一帯は古来「高い場霊場」と言われていました。寺の東の台地にあるお堂に、寺の鎮守の神として 八幡大菩薩が安置されていますが、天保4年(1833)に当山文器蔵司の寄進により再建されました。慧日寺開山の腰掛石、箕石もあり、 この地に寺を建てようと用いた石であると伝えられています。

26.北向き地蔵さん 〔畑内〕

26_北向き地蔵

県道沿いに北を向いて安置されており、交通安全の願いがかなえられます。地域の人たちによって祀られています。

27.熊野神社 〔北太田〕

27_北太田熊野神社

熊野神社は明治の前期頃は村社でした。紀州の熊野神社を勧請し、貞亨2年(1685)に現神殿が建立されました。 またの名を熊野十二所大権現といいます。鳥社のご神体は権現さんのお使いといわれる「鳥」で、大杉の根元に祀られています。 神の使者「鳥」は大杉の頂上にとまり、方向を定めて一目散に紀州の国へ飛びたったことから、村人たちは鳥の好物を供えたといいます。

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